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大祐神社下手狛犬
大祐神社拝殿中央神棚

​​創建 一二三六 年

大祐神社上手狛犬

大祐神社の歴史紹介

 社伝によると、嘉禎2年(1236年)創建と伝承されます。
「工藤大祐」は、当社地に鎮座する威風堂々たる岩に感銘し、神聖な「磐座(いわくら)」と定め、父から受け継いだ大辨財天を祀り一心不乱に拝みます。すると、カマドの煙も立たず魚も取れない寂しい村に大漁をもたらし、村人たちに福を招き大いに喜ばれました。
工藤大祐の死後、嘉禎二年(一二三六年)に次男である大助により、大辨財天」と共に、漁業の神様「大祐明神」と奉称されたのが、当神社の起源と伝承されます。
 
湊地区の氏神である当社は、新井田川河口を見渡す湊館鼻の地にあり、 古来より「犬房丸の伝説」や「千漁又次郎八百長才の鮭にまつわる伝説」が伝承されます。
​ 八戸の発祥の礎を築いた、初代八戸南部藩主「南部左衛門尉直房」(なんぶ さえもんのじょう なおふさ)の台命により、現在の湊町・白銀町・鮫町など八戸三浦はもとより、北は、下北大畑から南は久慈に至るまで、広域に渡り漁業の神”「海の総鎮守」として崇敬され、八戸南部藩草創期から幕末に至るまで、「南部藩の祈願所」とされた歴史を誇る神社です。
江戸時代の湊地区は、八戸藩にとっても「物流の拠点」として重要視され、南部藩主家にとっても「領内統治と経済の要所」でした。藩の経済を支えた【湊の守護神】としての立ち位置が強い神社です
大祐神社は「漁業の神様」として親しまれていますが、その歴史の根底には、八戸南部藩の草創期から幕末に至るまで、八戸南部家が国家安泰や領内守護を祈願した公的な信仰拠点としての役割がありました。
 その後明治4年(1871)に、伊勢神宮の外宮(げくう)に鎮座する主祭神「≪豊宇気比売命≫(とようけひめのみこと)/正式名称は≪豊受大神≫(とようけのおおかみ)とも呼ばれ、食物・穀物を司る神様」を主祭神としてお迎えし、「大祐明神」から「大祐神社」へと、社号を改称しています。

 例年7月には、風を鎮め、大漁と五穀豊穣を願う「風鎮祭」が行われ、舞などの奉納が行われます。商売繁盛、交通安全、結婚式や七五三、厄払いなど、地域の人々と深く関わってきた、湊町のシンボル的存在です。
拝殿の手前上手には、神社のシンボルとする≪大祐明神岩≫「岩座」(いわくら)が、鎮座します。「岩座」とは、”神の降臨を仰ぐ御座所”のことです。1220年、威風堂々たる巨岩に感銘した工藤大祐は、父「工藤祐経」から​大切に受け継いだ「大辨財天」をはじめて祀った神聖な岩とされています。
 
古来より、人々が手を合わせ祈りを捧げてきた、神々が降臨し宿るとされる「大祐明神岩」は、今日でも、多くのご参拝者や観光客でにぎわっています。
ご参拝の際は、大祐明神岩頂上に鎮座する≪大辨財天≫にお賽銭を投げ入れ、≪二拝二拍手一拝≫の上、拝殿参拝へお進み頂くと、更なる、ご利益があるとされています
大祐神社本殿の外観

「​本 殿」

ゴールデン鋼板

​御 祭 神

豊宇気比売命

(とようけひめのみこと)

伊勢神宮外宮「豊受大神」と同神

豊宇気比売命(とようけひめのみこと)は、神話に登場する食物の神であり、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)に祀られる豊受大神(とようけおおみかみ)と同神とされる神です。

 

和久産巣日神(わくむすひのかみ)の娘であり、伊勢神宮では内宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事を司る「御饌都神(みけつかみ)」として、豊穣や産業の守護神としても崇められています。

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​御 祭 神

豊宇気比売命

海洋
八戸初代藩主南部直房の大祐明神崇敬の歴史
大祐明神(大祐神社)は、八戸南部藩草創期から幕末に至るまで、
南部家が国家安泰や領内守護を祈願した公的な信仰の拠点でした

  嘉禎2年(1236年)8月、工藤大祐が辨財天を奉じて松館から遷座し、現在の社地に一社を建立しました。その後、寛文年間に「南部左衛門尉直房」(なんぶ さえもんのじょう なおふさ)は、大祐明神の神霊が顕著であると聞き、武運長久・国土安全・漁事満足を祈願したところ、その功験が著しく、領主も深く依拠したため、「直房」の命により毎年8月1日から3日間大祭が行われるようになり、祭りのたびに奉幣使が派遣されました。天明卯年には、「藩から神輿が寄進」されています。 

 南部左衛門尉直房は、江戸時代前期の 八戸藩初代藩主であり、陸奥国の八戸に八戸藩を立藩した大名です。盛岡藩主だった南部利直とその側室である 仙寿院の息子で、官位は従五位下・左衛門佐でした。

江戸時代初期、盛岡藩の分家として八戸藩が立藩し、その初代藩主となったのが直房です。この八戸藩は、南部氏が奥州(現在の青森・岩手など)に広大な領地を持っていた歴史を背景にしています。

 

 南部左衛門尉直房の台命により「大祐神社」は、湊・白銀村・鮫村三浦の鎮守として、北は下北大畑、南は久慈まで、それと共に「藩の祈願所」となりました。「大祐神社」は、海の守護神として、八戸南部藩により広範囲に渡る地域の氏神とされたのです。また、八戸の館鼻漁港の発展に貢献したとされる八戸酒造の創業者が祀られているなど、歴史的な背景が色濃く乗る神社です。現代では、白銀は三嶋神社を祀り、鮫町は蕪島神社を祀っています。​​​​

 

 

 

江戸時代の八戸藩において、湊地区は物流の拠点として重要視され、南部藩主家にとっても領内統治と経済の要所でした。藩の経済を支えた【湊の守護神】としての立ち位置が強い神社です。八戸市湊町の大祐神社(大祐明神)と初代藩主・南部直房、および歴代藩主との間には、以下の深い崇敬の歴史が伝えられています。

  • 祈願所としての位置づけ: 初代藩主・南部直房は、大祐明神の霊験が殊の外あらたかであるとして、同社を八戸藩の「祈願所」に定めました。

  • 例祭の制定と奉幣使: 直房の命により、毎年8月1日から3日間が大祭の期間と定められました。この例祭の際には、藩主の代理として奉幣使(ほうへいし)が遣わされ、藩を挙げた崇敬の対象となっていました。

  • 藩からの神輿寄進: 江戸時代の天明卯年(1783年、8代藩主・南部信真の代には、藩から豪華な神輿が寄進されました。これは当時の藩主一族がいかに同社を重視していたかを裏付ける歴史的遺物です。 

現在の大祐神社は「漁業の神様」として親しまれていますが、その歴史の根底には、八戸南部藩の草創期から幕末に至るまで、八戸南部家が「国家安泰や領内守護を祈願した公的な信仰拠点としての役割」がありました。 

大祐明神岩一対の内手前側明神岩ライトアップ
磐座に鎮座する大弁財天のご神体とされる神の石

大辨財天

大祐が”父”工藤祐経から​
受け継いだ【大辨財天】

磐座の頂に鎮座する大弁財天ご神体
磐座の頂に鎮座する大弁材天ご神体のクロースアップ

​神々の降臨を仰ぐ御座所として
大祐が辨財天を祀った「磐座」

大祐明神岩一対にしめ縄を配した磐座全景


「磐座」(いわくら)とは
​神の降臨を仰ぐ御座所

大祐明神岩

拝殿上手に鎮座する狛犬
大祐明神岩と起源を記した石碑全景.jpg
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「​本 殿」

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「​拝 殿」

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「​直会殿」

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