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​​創建 一二三六 年

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大祐神社紹介

​大祐神社は、嘉禎2年(1236)に「大祐大明神」として弁財天とともに湊の氏神として祀られ、明治4年(1871)に、≪豊宇気比売命(とようけひめのみこと)≫を主祭神としてお迎えし「大祐神社」と奉称されたと伝えられています。

 毎年7月には、風を鎮め、大漁と五穀豊穣を願う「風鎮祭」が行われ、舞などの奉納が行われます。商売繁盛、交通安全、結婚式や七五三、厄払いなど地域の人々と深く関わってきた湊町のシンボル的存在です。
湊地区の氏神である当社は、新井田川河口を見渡せる湊館鼻の地にあります。 「犬房丸の伝説」や「千漁又次郎八百長才の鮭にまつわる伝説」など、古来から、漁業の神として広域に渡り、海の総鎮守として崇敬されてきた歴史ある神社です。
 
拝殿の上手には、神社のシンボル≪大祐明神岩≫「岩座」(いわくら)が鎮座します。「岩座」とは、神の降臨を仰ぐ御座所です。1220年、威風堂々たる巨岩に感銘した工藤大祐は、父「工藤祐経」から​大切に受け継いだ「大辨財天」を祀った最初の岩です。古来より、人々が手を合わせ祈りを捧げてきた、神々が宿るとされる「大祐明神岩」は、今日でも、多くのご参拝者や観光客でにぎわっています。
 
風鎮祭には、風を鎮めて海上安全・大漁満足、そして収穫時期の五穀豊穣が祈願されます。
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「​本 殿」

ゴールデン鋼板

​御 祭 神

豊宇気比売命

(とようけひめのみこと)

伊勢神宮外宮「豊受大神」と同神

豊宇気比売命(とようけひめのみこと)は、神話に登場する食物の神であり、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)に祀られる豊受大神(とようけおおみかみ)と同神とされることが多い神です。

 

和久産巣日神(わくむすひのかみ)の娘であり、伊勢神宮では内宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)の食事を司る「御饌都神(みけつかみ)」として、豊穣や産業の守護神としても崇められています。

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​御 祭 神

豊宇気比売命

海洋
海の総鎮守 History

  嘉禎2年(1236年)8月、工藤大祐が辨財天を奉じて松舘から遷座し、現在の社地に一社を建立しました。その後、寛文年間に「南部左衛門尉直房」(なんぶ さえもんのじょう なおふさ)は、大祐明神の神霊が顕著であると聞き、武運長久・国土安全・漁事満足を祈願したところ、その功験が著しく、領主も深く依拠したため、「直房」の命により毎年8月1日から3日間大祭が行われるようになり、祭りのたびに奉幣使が派遣されました。天明卯年には、「藩から神輿が寄進」されました。 

 南部左衛門尉直房は、江戸時代前期の 八戸藩初代藩主であり、陸奥国(現在の青森県)の八戸に八戸藩を立藩した大名です。盛岡藩主だった南部利直とその側室である 仙寿院の息子で、官位は従五位下・左衛門佐でした。

江戸時代初期、盛岡藩の分家として八戸藩が立藩し、その初代藩主となったのが直房です。この八戸藩は、南部氏が奥州(現在の青森・岩手など)に広大な領地を持っていた歴史を背景にしています。

 

 南部左衛門尉直房の台命により「大祐神社」は、湊・白銀村・鮫村三浦の鎮守として、北は下北大畑、南は久慈まで、それと共に「藩の祈願所」となりました。「大祐神社」は、海の守護神として、八戸南部藩により広範囲に渡る地域の氏神とされたのです。また、八戸の館鼻漁港の発展に貢献したとされる八戸酒造の創業者が祀られているなど、歴史的な背景を持つ神社です。現代では、白銀は三嶋神社を祀り、鮫町は、蕪島神社を祀っています。​​​​​​

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大辨財天

大祐が”父”工藤祐経から​
受け継いだ【大辨財天】

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​神の降臨を仰ぐ御座所として
大祐が辨財天を祀った「磐座」

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「磐座」(いわくら)とは
​神の降臨を仰ぐ御座所

大祐明神岩

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「​本 殿」

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「​拝 殿」

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「​直会殿」

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